プロフィール

「行政が一番力をいれなければならない仕事は、福祉の充実。母と子、お年寄りの願いを届けたい」と語る三谷つぎむさん。そのがんばりがどこから来るのか、プロフィールを紹介します。
裁縫が大好きな子どもでした
1940年、農業と和紙製造を営む家庭に、7人兄弟の4番目として生まれました。体が弱く、「長生きできないかもしれん」と、父親もつぶやいたほどでした。
「家にいることが多く、おばあちゃんの針仕事を見ながら、小学校6年生の時に自分でワンピースを、中学生の時には一重のセーラー服を縫った」と言います。
そんな三谷さんへの母親の口ぐせは、「女性も働いて経済力をもたないかん」でした。苦しい家計の中でも、松山ドレスメーカー女学院へ進学させてくれました。
出会い、そして別れ
技術を身につけ故郷に帰った三谷さん。洋裁学校の教師の頃、大王製紙で働いていた善胤さんと出会います。2人は結婚を考えますが、善胤さんが労働組合に参加し、日本共産党員だったことから、両親は猛反対。
「ミシンとハサミ、アイロンがあれば何とかなる。夫が働く仲間と政治をよくするためにがんばっている道に間違いはない」と決意。結婚しました。三谷さんが日本共産党に入党したのも、この頃でした。
善胤さんが35歳で市議会議員となり、「今度は住民のために」と汗を流そうとしていた矢先、交通事故で命を落としてしまいます。
「とてもつらい時でした。でも子どもに、そんな顔は見せられないと思いました」と、当時を振り返ります。
母と子、福祉充実のために
「自分の子ども、そして子どもたちみんなのため」と、学校給食をよくする運動、高校の学級数を増やす運動に参加。母子家庭の家族でつくる「母子会」の世話人も務め、同じ境遇の母親を励ましてきました。
82年、旧伊予三島市議会議員選挙に立候補。その時の公約の一つが「のびのび遊べるアスレチックを」でした。当時、子どもが安心して遊べる場所が少なかったのです。それだけに、子ども達から「アスレチックのおばちゃんだぁ」と評判に。目を輝かせて宣伝カーのまわりに集まる子どもたちで動けないほどでした。そして、旧伊予三島市議会初の女性議員として当選。掲げた公約は、運動公園に「こども広場」としてが実現させることができました。
母と子の幸せ、福祉の充実ひと筋にがんばる三谷さん。よく調べて質問する姿に、「迫力がある」とほかの党の議員も認めます。
7年前には、介護保険制度を充実させるためにと、ホームヘルパー3級の資格を取得。医療生活協同組合の「ボランティア学校」で福祉施策の講師も務めます。
今、県立三島病院の診療科目の充実と存続問題が地域住民の間で大きな不安を呼んでいます。三谷さんは、「存続・充実を求める」署名集めに奔走し、議会でもたびたび発言しています。
「いままでみなさんと一緒に、一つずつ福祉施策を充実してきました。地域医療の柱になっている三島病院を存続・充実させてこそ、安心して医療にかかれます」と、決意を新たにしています。
略歴…
1940年旧川之江市妻鳥町生まれ。県立川之江高校、松山ドレスメーカー女学院師範科卒。82年に旧伊予三島市議に初当選。以来連続6期。04年より合併に伴う四国中央市議01年にホームヘルパー3級資格取得。趣味は洋裁。

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